2000/4
2007/2
OR学会の国際連合
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日本オペレーションズ・リサーチ学会50年の歩み
 

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OR事典改訂にあたって
OR事典編集委員会資料編担当 若山邦紘(2007/2)

 OR学会50年の歴史の中で,OR事典の編纂・改訂は通算3度目となる.いろいろな理由からOR事典編集委員会は,「OR事典」をWebに公開するという手段をとることになった.前回はCDによる出版であった.

 資料編だけは「OR事典」から切り離して,OR学会の通常のホームページの中に移すことになった.これは逆瀬川浩孝委員長のアイディアである。内容の性格上,資料追加も間違いの訂正も広報委員会の責任で簡単に出来るようになる.

 前回までの学会の歴史資料はそのまま残してある.今回はデータ追加作業を基本に多少の資料追加を行った.前事務局長の藤木秀夫さんには,その後の学会活動全般にわたる記録をまとめて原稿を作成してもらった.学術会議関係も藤木さんが前回の形式に習って資料原稿を作成し,FMES会長の高橋幸雄さんに目を通していただいた.

 

OR事典2000


 各支部から増補追加の原稿が送られてきた.Webのサンプルを見てくださいと言って作業用の仮アドレスをメールでお知らせすると修正依頼が返ってくる.結果的に支部長や担当の委員には校正までさせることになってしまった. 国際関係は国際委員会の牧本直樹さんに資料の追加をお願いした.APORS関係は永年APORS事務局を務める大山達雄さんが担当してくれた. 中国との交流が深い伏見正則さんにはAPORCの記事を改訂していただいた。

 ページのヘッダーのデザインを作り直した.現在の学会ホームページで意識的に使用した学会の「色」を使っている.オレンジ色は論文誌”Journal of the Operations Research Society of Japan”の表紙に使われている色である.全く手を加えていない初版OR事典資料編は古いヘッダーのまま残してある.

 学会創設当時の和文誌は「経営科学」という名称であった.OR学会が設立される2年前に,関西の研究者が中心になって経営科学協会という学会組織が設立された.アメリカには90年代になるまで,ORSAとTIMSという2つの学会が存在していた.大変な思いをして合併し,INFORMSとなったのであるが,日本ではOR学会創立時に関東のグループと関西のグループが一つの学会組織として発足するための話し合いを行ったのである.学会の名称は「日本オペレーションズ・リサーチ学会」,学会誌の名称は「経営科学」を,そして表紙の色の「濃い緑」を採用することになったのである.

 現在、我々が手にするオペレーションズ・リサーチ誌は,1956年に日本科学技術連盟から刊行されたORの商業月刊雑誌であった.1976年1月,OR学会が編集・発行をVol.21から引継いで学会の月刊機関紙として現在に至っている.そのときに「経営科学」は廃止されることになった.

 
 学会のマークとなったORのロゴは,もともとは学会のネクタイピンを作成するときにデザインしたものである.マークに埋め込まれた七宝の赤い色は,JORSJの濃いオレンジ色を想定したものである.IFORSに参加する視察団が開催国へのお土産にしたり,機会あるごとに国内外の要人に記念品として差し上げたものである.IFORSの常連の間では,英国OR学会のネクタイに日本OR学会のネクタイピンが珍重がられたようである.

 写真の品は純銀台に金メッキの高級品で,販売用に制作したものではない.おそらく事務局にも在庫はないものと思う.(2007/2)

日本OR学会ホームページ


OR事典2000資料編の編集にあたって
資料編幹事 若山邦紘(2000/4)

初版「OR事典」1975

 

 1975年に第7回IFORS国際会議を東京・京都で開催するという機会にあわせて初版の「OR事典」が編纂された.編集委員長は北川敏男先生であった.当時の会長であった森口繁一先生はすべてのゲラ刷り原稿を隅から隅まで目を通し,原稿の著者に直接電話で内容について問い合わせながら手を加えるという大変な作業をされたことを思い出す.

 その森口先生が「10年後には改訂版を」と言われた.われわれはその言葉が頭の片隅に残っていて,事あるごとに事典改訂の話題を口にしたのであるが,その大事業が40周年記念事業の目玉としてようやく実現の運びとなった.

  初版の「OR事典」には相当なページをさいて「資料編」が書かれた.担当したのは川瀬武志さん(慶應大)であった.ご自分の研究室の学生を総動員して調査をさせ,お独りですべてを書いたものである.昔は川瀬さんのような剛の者がOR学会には大勢いたのである.当時はOR関連の図書も限られたものしかなかったし,企業へのOR導入・普及に対する期待も大きく,また,大学におけるOR教育の拡大にも力が注がれていた時代であった.そのような時代の要請をうけていろいろな資料が集められ執筆されたのである.


  当時,OR学会の事務局では鈴木規子さんが古い記録をすべて整理していた.川瀬さんは日科技連や日本生産性本部にある資料までかき集めて来て「資料編」を書き上げたのである.

 しかし,それから20年も経過して,現在ではその背景はかなり変化したと言ってもよいだろう.そこで今回の資料編ではできるだけ軽量化を図ることにして,直接OR学会の活動に関連する資料を年表の形にまとめ掲載することにした.

  その後の資料を発掘してくれたのは元事務局長の関口正男さんであり,このような読みやすく扱いやすいWeb形式に設計したり,原稿の整理をしてくれたのは田口 東さん(中央大)である.また学術会議関連の年譜をまとめてくれたのは柳井 浩さん(慶應大)である.

 さらに,各支部に無理をお願いして支部史を書いてもらうことにした.各支部では大勢の支部草分けの方々に古い資料を掘り出す作業からお願いしてしまうことになった.たくさんの貴重な記録を収録することが出来た.

 国際活動も世界の中で主導的役割を果たすようになり,とりわけアジア・太平洋地域の連合体APORSに関しては日本OR学会の貢献は計り知れない.APORSの資料は高森  寛さん(青山学院大),柳井  浩さんがOR誌に書かれた原稿をもとに編集したものである.皆さんのご協力に心から感謝している.


 

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